az氏百科事典

「コンピュータ周り」から「今日の駄文」までを手狭くカバーする極小ブログ群

薄明

 桜は散りはじめ、寒さも和らぎを見せる。高く昇っていた日は次第に沈み、街明かりが星代わりとなる夜もおだやかに白んでいく。

 

 薄明。

 

 早朝の、黄昏の、あの特有の微妙で繊細な色彩が、空に零れあふれるさま。

 散らぬ桜のないように、ぬるまぬ寒さのないように、すべてにおいて終わりはある。薄明もまた然り、終わりを伴って訪れる。

 

 今回は薄明とともに目を覚まし、薄明とともに帰路につく筆者の、他愛のない愚痴を、ここをお借りして零させてほしい。…誰かに読んでもらうためでなく、自分のために。感情と思考の整理をするために。

 

 ああ、ほんとうにただ勢いで書いただけの愚痴なので、読んで気分を害したとかいうクレームは受け付けない。苦手な方にブラウザバックを勧めておく。

 

・弱くてニューゲーム

 昔から自分は広く浅くの関係の中で過ごしていくのが好きだった。
 いわゆる「仲良しグループ」に属するのが非常に苦手で、同じ人と一緒に居続けるという行為が自分には耐えがたいものだった。しかし人と関わるのは好きだったため、さまざまなグループを放浪し、そこで簡単にだが人脈を作り広げていった。

 しかし大学では、今までのような放浪は厳しそうだった。
 女子が少ないため、グループ内での結束が強めに感じられる。他グループとの交流はあるのだろうが、今までの体験と比べると盛んとは言い難い。故に謎の踏み込みづらさを感じてしまう。
 加えて自分は通学時間が長めなので、家に帰っても、飯食って寝て起きて飯食うだけ…などという生活を送っている。すなわち課題をこなす時間に難が生じる。だから休み時間や空きコマでは、食事をしながらキーを叩いたり自習室にこもったりしている。おかげで少しぼっち気味ているし、もしかしたら変な目で見られているのかもしれない。
 何かの間違いで筆者に用や話題があるときは、気軽に声をかけてほしい。話すことは好きだから。

 

・美少女

 まあこれらのことは、そんなに深刻視するようなことでもないだろうと高をくくっていたら、案外それがきつかった。
 端的に言うと、追い打ちをかけられた。

 薬が効かないのだ。

 もともと筆者はちょっとした持病があった。病名は伏せさせていただくが。命に関わるものではないし、大したものではないからいいのだが、如何せん服薬・手術以外の予防治療法や病因となることがはっきりしない、そんなものを身体に宿している。生活に支障をきたす症状がないのが救いか。
 そして治療を始めたのが10月頃だったような。しばらく服用していて回復の兆しがみられたため、一度服薬をやめて自然治癒を試みたのだが、入学式後の通院でまた悪化していた。それにより服薬治療を再開したのが現在。そしたら、このざまだ。

 この前の通院の帰りを思い出す。
 検査結果が思わしくないため、いろんなことがよぎっては消えていた。治療を応援してくれている友達に向けて、申し訳なさで肺を満たしていた。

 そんな中、母が運転中に「クラブどこにするん?」と訊いてきた。
 やめてくれ。
 何気ない一言だったろうが、いまだ生活に慣れていない自分には酷く刺さってしまった。

 「入れるもんなら入りたかったさ、そんな時間あらんよ、今でさえ家に帰ったら食って寝るだけしか叶わんのに」
 自我の外で、早口でまくし立てていた。

 明日を生き繋ぐのに精一杯だったと訴えたところで、傷口からあふれ出る言葉をあんな奴が受け止めてくれるわけないと、そうわかっていたはずなのに。幾つ言葉を紡いだか分からなくなったところで、喉が熱と湿り気を帯びてきてしまったため、慌てて涙腺をぐっと締めて平静にもどった。ふりをした。
 それからは何も言えなかった。すごく遠いところから、事務的な「ごめん」が聞こえた。
 もともと母から離れたかった自分が、こういった歪な下宿生活を選んだのが原因なので、もう何も言う理由がなかった。

 そして時間が経った今。主作用などというものは効かず、副作用ばかりが肌を荒らしていく。ただでさえ自信のない容姿を更に酷くされたって、何も嬉しくない。
 美少女なんて自称しているが、結局は差異を感じることで自傷にふけっているのだ。
 こんな人間、美少女なんかじゃない。既知の事実が、身体から叫ばれた。

 

・無意識と意識の間で歌えば

 そうして感情をうまく自己処理できないまま、慣れない生活とともに幾日かがすぎると、流石に精神・肉体ともにガタがでてきた。
 指がぴくりともしないときもあった。意地で動かした。風呂に入ったら少しマシになった。
 そのとき経験から、自分は意外にやられていたんだな、と悟った。
 次の日、気が付いたら校内カウンセリングを申し込んでいた。


 カウンセリングでは、今まで満足に話せなかったことをぼろぼろとこぼしてしまった。最初は遠慮してぽつりぽつりとしか言えなかったが、カウンセラーの先生がそのたびにうん、うん、と笑って聞いてくださったので、知らないうちに自身の口から、とめどなく滝のように言葉と感情が出てきた。感情が混線して泣きそうになったときは、我慢しなくていいんだよ、と言ってくださった。
 いっそ泣けばよかった。

 

・すべてにおいて終わりはある

 ここまで不幸自慢のような文を書き流してきたが、実は人生のなかでは、現在はかなり幸せな時間を過ごせていると思っている。
 というのも、もともと好きだったPCに関われているうえ、先輩や同輩から多くの刺激がある環境下にいる、というのが何よりも嬉しいからだ。所詮普通科は汎用的で平坦な知識しか寄こさなかったから。

 そう。やっと変われる。好きなことを目いっぱい追える新しい自分になれる。

 この大学という場所で、自分が情報に関わる分野が好きであることを証明できたら。自分が親の手を借りなくても生きていけることを示せたら。自分の足で歩いて行けるなら。
 いつか私を、ひとりの人間だと、認めてもらえるだろうか。

 

 薄明のなか、また目を覚ます。そのたび自分でない誰かになれていたら、などという考えがよぎる。


 もし私が死んで生まれ変われたら、もっといい子になれるかな。

 

 また来世。