az氏百科事典

「コンピュータ周り」から「今日の駄文」までを手狭くカバーする極小ブログ群

Goal in, Start line

 はじめましての方もそうでない方も、どうぞこんにちは。

 Azという名前でtwitterおよびブログを開設して4年が過ぎた。文章を書くのは好きだと言って始めたブログだが、最終的に年1程度の更新に落ち着いてしまった。理由は簡単で、飽きである。継続的に長文を書くのは得意ではなかったらしい。それはそれとして文章にするのは好きなので、またぽろぽろと別ブログを立ち上げて体験や記憶を書き連ねるかもしれない。皆が知らないところで。

 

 さて、筆者は無事卒業が確定し、現在入社・転居の手続きや溜めていたイラスト依頼などを消化している。人生最後の春休みだというのに毎日わたわたしている。

 そこで、この恥の記録の多いブログで、最後の恥を残すべく、己から出る気持ちをそのまま書こうと思う。

 まとまっていない感情を置き土産として、理解されないことを前提として、自分の好きなように、好きな文体で。

 解釈はお任せする。

 

 学生生活最終回は、信念と思想のポエム。

 

 没個性的な名前にしたくて、自分をAzと呼んだ。

 名前の珍しさも立ち居振る舞いも全て「一般」から浮いていたから、せめて名前だけは少しでも一般に近づこうと。

 でもすべてダメだった。筆者はやはり今回も目立ってしまった。入学前から変な奴だと思われてしまった。まあ変わり者のまま18年くらい過ごしていたので、変わり者としての生活の仕方は板についていた、気がする。

 人に誠実に。人に努めて思いやって。

 慣れないうちは稼働のしすぎで心身問わず壊れてしまったこともあった。醜い自分になった時もあった。

 それでもなんとか、だからこそ、自分の成功や失敗はすべて誰かの糧になってほしくて、エンターテインメント、アドバイス、自分語りなどと称して綴るや話すをしてきた。それがどれくらいの価値があったのかはわからないが、全くの無駄でなければいいなと思う。

 学生生活の途中、色々な人と知り合うことができ、中には私のことを親しく思ってくれる人もいた。しんどい時に手を伸べてくれる人もいた。他と変わらない態度で接してくれる人は本当に貴重だった。

 普通でありたかったが、最後までアンコモンな存在である事実が胸に刺さって抜けない。でも本当に刺さっているのは胸ではなく、Azの名のベール、と思え始めたのは、おそらく2年前ごろから。

 私のことなんていつかすべて忘れればいい。あなたが会ったのは、見たのは、話したのはAzであり、これからの私とは違った誰かだったという、そういうことにしていきたい。

 

 私は重たいベールを脱いで、新たな私になる。

 また少し孤独を感じるが、すぐに何も感じなくなる。

 すぐに私は衆人環視になる。

 

 「なりたい私」の羅針盤を胸にずっと抱いて、長い人生の道をまた歩く。

 方角さえ見失わなければきっとハッピーエンドにたどり着く。

 玻璃のように、よく光を湛えてあふれさせる、そんな人になれるように。

 

 今日まで。今日から。

 おつかれさまでした。

 ありがとう。

 

 

 

 また来世。