az氏百科事典

「コンピュータ周り」から「今日の駄文」までを手狭くカバーする極小ブログ群

にほんごであそべ

 ブログを始めてから2記事を書いて公開してみたが、思ったより反応が良く驚いている。あんなん誰が読むねん…などと考えていたのは杞憂だったようだ。

 そして、予想を超えて「文」が好印象だった。文章を書いたり考えたりすることが好きな筆者としては、嬉しいような畏れ多いような気持ちになる。回復ドライブの話とか後半グダグダだったのにな。

 折角なので、自分が文章を書くときに気を付けていることや、文章をちょっとでも書けるようになりたい人向けの何かしらでも書き連ねてみる。

 こんなのを役立てないほうがいいのかもしれないが。

 

・例題を準備してみる

 書き連ねるといっても、たぶん実例がないとイメージしにくいだろうし、筆者も説明しづらくて嫌なので、とりあえず整える前の文を書いてみることにする。あぁ…こんな文章を晒すのは恥ずかしいな…。

  美少女というものは、得てして不可思議なものであり、自身であるazを構成するひとつである。

 この文を見てどう思われるだろうか?
 文体だけは立派だが、どこか違和感を感じてしまうのは筆者だけだろうか。
 その違和感を解消していくために、これから校正を始めていこう。

 

 まず、azが美少女であることは自明のことであるため、文末に持ってくるほど重要な事柄ではない。もう少しシンプルに書けそうな内容でもあるため、大きく文を構成し直すことにする。すると、

 自身であるazを構成する美少女というものは、得てして不可思議なものである。

 となる。
 しかし読み返してみると、「自身」が誰においての「自身」を指すかが初見ではわかりづらいような気もする。そして「得てして」という言葉も、筆者自身がよくわかっていない言葉のため、単語の用法が間違っているかもしれないと不安になった。そのため、別の言葉で書き直してみる。

 筆者であるazを構成する美少女というものは、いつの時代であれ不可思議なものである。

 うん、だいぶ良くなってきた。
 なお、この文における「美少女」は形容詞的用法をする名詞であるが、あくまでも目が向けられるべきは修飾先である「az」ではなく、「美少女」という単語そのものなので、文中に強調を施す。

 筆者であるazを構成する「美少女」というものは、いつの時代であれ不可思議なものである。

 さて、こんなもんだろうか。もうちょっとマシな文なかったの?

 今回は一文をゆっくり校正していったが、普段はこれを頭でやりつつ打ち込みつつ、を繰り返している。通して読むのは全文を書き上げてからのことが多い。
 そして小難しい表現を文中に盛った気がするが、もっとIQを殺しながら考えている。「あっおかしくねえかここ~↑」程度の知能でだらだらと言の葉を吐き出していたか。

 また、今回では挙げなかったが、文頭末の表現が被らないようにしたり、言葉のルールを(分かっている範囲で)気にしたりしている。


 知ってるか?「たり」って1回だけ使うのって駄目なんだぜ。繰り返し使う語なので一文に2回以上用いなければいけないのだ。


・そんな長文が書ける訳がないんだが

 ごもっともだ。一応確認したいのだが、書けないといっても根本的に「書くことがない」んじゃないだろうか?それだったらもうどうしようもない。頑張って胃酸が出るほど吐き出してくれ。もしくはもう書くな。無理に書くな。
 しかし、たまに「話はいくらでもできるが書くのは無理だ」という方がいる。文才がないとか語彙がないとかを理由とするそうだ。

 

 文才…??

 

 小説を書くならまだしも、我々一般人は持ち合わせていないのが普通ではないのか。
 まあ言わんとしていることはわからんでもない。書いていると文章がめちゃくちゃになってきたり何が伝えたいのかわからなくなったりする、そんな経験がなかったわけでもないのだから。
 しかし文章にはある程度の「型」というものがあり、それを体に叩き込めば、ある程度は自由に文章を書ける。国語でも習わなかっただろうか、「テーマ提示→筆者の意見→予想される反論→意見の補強→まとめ」みたいな。覚えてはいないか?…えっ寝てた?わかる。


 あと語彙についてだが、これはもういろんな表現を試すしかない。もしくは、広義的意味を持つ語から狭義的意味を持つ語を使うよう意識してみるのもありかもしれない。
 何を言っているかわからないと思うので、さっきのように具体例を示す。「かっこいい」という語から、より狭い範囲の「かっこいい」を示す「洗練されている」とか「色気がある」とか、もしくは「厨二っぽい」とか。言い換えようと思えば幾らでも出てくる。

 無理ならグーグル先生に頼ろう。検索エンジンは偉大なのだから。

 

 けれど最初から無理に多くを書こうとする必要はない、短文でもまとまりのある文章のほうがいいだろうし。それよりも、意見に自信をもつことを優先してほしい。

 そうさ、なんでもそう。伝えればきっと、受け止めてくれる人がいる。それをまず知っていてほしい。

 筆者はそれを知るのに18年も要してしまったので、どうぞ読んでいらっしゃる方も、焦らないでこの事実をゆっくり飲み込んでいただきたい。


・もし本気で文章が書けるようになりたいなら

 こんなブログを読むな。

 と言いたいところだが、さすがに突っぱねすぎるのもどうかと思うので真面目に答えることにする。
 ふだん書く文章に「プラス1文」をしてみてほしい。
 レポートなどを書きあげ読み返したときに、言い足りなかったところを頭の中で加えてみるのだ。べつに追加で書き込まなくてもいい。想像力の問題なのだから。
 加えていろんな人の文章を読んだり、人に書いた文を見てもらって添削を受けたり。他の事柄にも言えるが、文章も例に漏れずこれで上達できるはずだ。


 あと嫌いなテーマで文章を書くな。好きなことだけ喋ってろ。こんなことでストレスを溜めてはいけない。

 偉そうにのたまったが、自分はまだまだ未熟で拙文しか書けないただの美少女だ。それでも…ちょっとでも文章を書く、ということに抵抗がなくなる人が少なくなるよう、祈っている。

 

 また来世。